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踊りと言葉の生まれるところー祈りという身体の深層ー伊藤雄馬✖️西園美彌

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※決済後、ゼミ受講ガイドのPDFファイルがダウンロード出来ます。 ご一読いただき、ガイドに記載されているリンクから登 録、視聴ください。ZOOMのウェビナーで配信します。 下記に開催した対談のアーカイブです。 10月19日(水)19:00-21:00 ※オンデマンドで視聴する際も事前登録が必要です。 対談にあててお二人からメッセージをいただいています。 ー踊りと言葉は本質的に同じ、つまり祈りです。人のすることは、すべて身体が関わります。ここでいう身体とは、肉体のことだけを指すのではなく、肉眼では見えない、触れられない、多層的な身体を含みます。その多層的な身体からみると、話し聴くこと、書き読むこと、そして踊ることが、同じことなのが分かってきます。似ているのではなく、同じなのです。ぼくは生まれて話せるようになり、書けるようになるにつれて、踊らなくなりました。数年前、ぼくは書けなくなり、話すのが億劫になり、そしてやはり踊りもしませんでした。そして今、ぼくは書きはじめていて、話したいことがあり、踊ることに向かっています。そんな折に西園美彌さんとNOTHで対談するのは、偶然ではないはずですー伊藤雄馬 ー私は踊りは祈りだと思っています。 舞台上で照明に照らされその光に向かって手を伸ばすのも、太陽に手を合わせるのも、海の底から地上の光をただ見つめることも、同じなように感じてきました。 究極の美、すべてとの調和を目指すバレエを入り口にして、私は踊りの世界に魅了され学んできましたが、私は今踊りというものが踊れなくなりました。身体が拒んでいるように感じます。けれど自分の中から湧いてくるものではないときにのみ身体は拒み、身体が素直に自然や空間と調和した時には身体は動き出します。 踊りとは、祈りとは、本来そういうものなのかもしれません。言葉が生まれるのもそんな時なのかもしれません。 言語学者でありながら、言葉から身体へ、踊りへと向かい出しているという伊藤雄馬さんの、その境地に興味があります。ー西園美彌

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